今から百数十年前の幕末の世に、長州藩(現在の山口県)に高杉晋作という志士が活躍していました。
長い太平の世に慣れた武士の腰抜け振りを見た晋作は、百姓、町人を問わず頑強な者たちを集め、強力な軍隊を作りました。それが奇兵隊という組織です。
久坂玄瑞らと共に松下村塾で学び、吉田松陰から厚い信頼を得ていた人物でもあり、倒幕のきっかけをつくった志士の一人でもあります。
ところで話が急に転回しますが、私には、この晋作が現代に生まれ変わってくると、どうも堀江社長のような仕事や行動をするように思えてなりません。
知略と胆力をもった若者が、古い組織に対して風穴を開けようという勇気に対して、支持を得ているようですが、その言動から察するに、多くの識者を納得させうるだけの経営理念や未来へのビジョン、高邁な理想が感じられません。
ただただ、目立つこと、ナンバーワンになることを狙い、お金中心の経済、拝金主義に傾いているように見えてなりません。
本田宗一郎氏はこんなことを語っております。
「私が世界に輸出したのは、バイクではなく精神です。名前も知られていないような国のちっぽけな会社が、世界に挑み、そして成し遂げた。そのような夢をホンダのバイクに触れた人々に与えたかった。」
豊田織機の創業者・豊田佐吉翁は、生涯、二宮尊徳の報徳の教えを大切にし、
「わしは織機を発明し、お国の保護を受けて金をもうけたが、お国のためにも尽くした。この恩返しに喜一郎(トヨタの創業者)は自動車を作れ。自動車を作ってお国のために尽くせ。」
と国家社会に貢献するという使命感を、佐吉は常に語っていたと言われています。
そして、松下幸之助氏は
「経営というものは、非常に躍動的なしかも生きた総合芸術である。経営には真理が生かされ、善も美も生かされている。そして、国家社会のために大きな貢献をするのが経営である。こう考えると経営というものは本当に崇高な総合芸術である。」
と語っています。
また、アメリカにロックフェラーという大金持ちがいました。20代で成功し、40代で大会社の社長となり、膨大な富を得て、巨大な財閥を築いた人です。
彼が50代のころ、「金儲け主義で人々を苦しめている」とあちこちから非難を受け、身も心も疲れ果て、病気になり、行きずまってしまったそうです。
しかし、彼はその時、改心し、「この財力を生かして世界の人々のために役立てよう」と思い、財団を作り、そして世界各地に病院や学校などを数多く建てたりしたのです。
そしてまた、新たな人生が開け、アメリカの代表的な経営者として、現在にその名が残っています。
堀江社長のような知略にとんだ逸材は、そう多くは世に出てくることはないと思います。
裁判の長期化も予想されます。
しかし、孫子の兵法に「戦いは正を持って合し、奇を持って勝つ」
すなわち、正攻法ばかりでは労多く収穫が少ないが、奇手ばかりでは策におぼれる。正奇を併用せよ。とあります。
願わくば、奇策を弄するのみでなく、先人の名経営者の知恵や態度を素直に学び、後世に語り継がれるような経営者への道を、歩んでいただきたい。
知恵の力で戦ってきた堀江社長の次なる限界突破、それは、もう一段、上の精神的境地を目指すことにより、道が開けてくるということではないでしょうか。
現代の高杉晋作 堀江貴文社長よ がんばれ!
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